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極夜

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TOP >> Back Number 01 >> 旧極夜光

花咲か列車

 享年十七歳。
 俗名は、ポチ。
 ミックスの白い犬は、十五歳の私より長く生きたことになる。
 私が物心ついた頃からすでに居て、人生の先輩であり、お兄さんであり、良き友であった。
 ポチが闘病の末に亡くなったとき、ほっと胸をなで下ろす自分が居た。
 排便も立ち上がるのも困難な辛い姿をもう見なくてもいいから。
 だから冷たくなっても涙がこぼれることはなかった。
 ただ、心にポッカリと穴が空いたのは確かだ。
 簡単な葬儀をあげ、父親と一緒に火葬場へと向かう。
 もう3月の半ばだけど、窓をよぎる冬枯れの桜並木が寒々しい。
 山の中の火葬場にもところどころに桜の木が植えられており、舞い散る桜の花びらと戯れていたポチの姿が思い起こされ、昨日のことのように懐かしんだ。
 焼き場では早々にポチの固くなった体を台車に横たえる。
 そして遺体を焼却炉に入れたとき――ふいに震えが来た。
 もうポチはポチで無くなるのだ。
 骨と灰になってしまうのだ。
 写真ならいくらでもあるが、あの日向の匂いがした柔らかな毛に顔をうずめることはもうできない。
 そう思うと、今まで冷静だったのが嘘のように動揺がこみ上げて来た。
 体が震え、これ以上父親とポチが焼き終わるのを待っていられなかった。
 私は弾けるようにその場をあとにし、敷地内を走りに走った。
 息が切れたところでようやく火葬場を振り返る。
 すると――、突風が吹きつけ思わず腕で顔をおおった。
 次に景色を目にしたとき、私はまんまると見開いた。
 そこは火葬場の敷地ではなく、古びたプラットホームだったからだ。
 しかも停車しているのは実物を初めて目にする蒸気機関車に他ならない。
 ふいに甲高い笛の音が鳴り響いた。
 するとこれに乗らねばという衝動に駆られ、急いで乗り込む。
 機関車は蒸気を吐き出し、ゆっくりゆっくり動き出した。
 勢いに任せて乗ったものの、この行き先は知りようも無い。
 他に乗客も見当たらず、とりあえず窓側の席に腰をおろした。
 窓の外では冬枯れの木々が後ろの方に流れてゆく。
 まだ春は遠いように思われ、なんだかわびしい気持ちになった。
 ふと、どこからか犬の鳴き声が聞こえて来る。
 窓の外では白い影が駆けていた。
 あれは、そんな、ポチ!
 だけど一匹じゃ無い。
 小さな女の子もポチと一緒に走っていた。
 私だ。幼い私がポチと駆けっこをしている。
 やがてその懐かしい光景は後ろへと流れ去ってしまった。
 それからもポチが現れ、少しずつ成長してゆく私も併走している。
 けれどあるときを境に、ポチ一匹だけとなった。
 ポチは時折こちらを見やりながら、機関車とともに走り続けていた。
 窓の外は過去を通り越して、死者の時間に突入したのかもしれない。
 やがてポチは加速し始め、機関車よりも速くなり、ずっと先へ先へと行ってしまった。
 待って!
 私は立て付けの悪い窓をこじ開ける。
 顔を出しポチの背中を追うがもう見当たらなかった。
 ふいに灰色の煙が吹きつけ、顔を背後にそむける。
 そこで私の目は驚きに見開かれた。
 機関車が通り過ぎた景色に満開の桜が咲き誇っていたからだ。
 よくよく見ていれば、機関車の排煙が触れた枯れ木はたちまち桜の花を咲かせていた。
 この機関車はひょっとしたら桜前線なのかもしれない。
 死者の遺灰を燃料に日本列島を上ってゆくのだ。
 そう思い至ったら、急な眠気に襲われる。
 私は座席に崩れ落ち、意識がゆるりと遠のいていった。
 自分の名を呼ばれ目を覚ました。
 私はいつの間にかベンチで眠りこけていたらしい。
 お父さんがもう春だなぁと私の背後を見つめていた。
 振り向くと、桜の木にいくつかの花が咲いている。
 これはきっとポチが咲かせた花だ。
 ポチは遠いところに行ってしまったけれど、いずれ私がそこに至ったとき、また桜並木の間を駆けっこしようと思った。

パレード

 冬枯れの田園に、肋骨をさらけ出した恐竜がうつぶせになっていた。
 かつて栄華を極めた恐竜の息づかいはもはや感じ取ることができない。
 ぼくはじっと亡きがらを見つめ……吹き抜ける寒風にぶるりと身震いをした。
 春はまだかとゆっくり歩き出す。
 母さんが生きていた頃はこんなにも家路をたどるのはおっくうではなかった。
 友だち付き合いが苦手なぼくは、まっすぐ家に帰ると真っ先に母さんに今日見て来たことを伝える。
 すると母さんはそれをわくわくする物語に語り直してくれるのだ。
 くだんの恐竜もそのひとつだった。
 ぼくが一番好きだった母さんの冒険譚。
 恐竜たちがぼくの住む町をかっぽしていたことや、人間との敵対関係。
 しかし長い時を経て、両者は和解し、共に生きる道を見い出したこと。
 けれど、時間というものは残酷だ。
 人が衰退することで、恐竜もその雄々しき力を失ってゆく。
 今や町はさびれ、どこにもかつての面影は存在しない。
 そして母さんももう居ない……。
 やがて道の突き当たりまでやって来た。
 その正面にも恐竜の亡きがらが横たわって――違う、違う!
 これは恐竜なんかじゃない!
 ビニールシートがはがされ骨組みがむき出しになった温室だ!
 ここに恐竜なんて居ないんだ!
 と、その時だった。
 温室の中でぽこっとひとつの芽が飛び出した。
 いやそれだけじゃない。
 ぽこぽこっと次々に芽吹き、温室の中はたちまち緑に彩られる。
 芽は茎を伸ばし温室を新緑で満たした。
 するとどうだろう。
 温室がゆったりと起き上がり始め、花を咲かす威風堂々とした立ち姿をひろうする。
 そのフォルムはまぎれもなく恐竜だ。
 ここだけじゃない、あちらこちらでも立ち上がった恐竜がかっぽしていた。
 その一匹の頭の上に見慣れた顔を見つける。
 母さんが恐竜の頭に腰をかけ手を振っているではないか。
 やがて母さんを先頭に恐竜たちは列をなし、踊り始めた。
 いつしかぼくも混ざって踊り出す。
 こんなに笑ったのはいつぶりか。
 こんなにも帰り道が楽しいのはどのくらいぶりだろう。
 それからというもの、ぼくの家路はゆかいなものとなった。
 恐竜たちとともに踊りながら、遅めの春を満喫する。

う化

 腹の虫が治まらない。
 つい今し方も椅子の足に小指をぶつけたのが腹が立って、椅子を蹴飛ばし、持ち上げて叩きつけ、放り投げた。
 突然のことに母さんはおろおろするばかり。
 それがさらに火に油をそそぎ、テーブルの上のものをすべて払い落とした。
 それから足を踏み鳴らし自室へと戻る。
 ただ、コップ一杯の水を飲みに行っただけなのにこのありさまだ。
 こんなに怒りっぽくなったのはここ一二年。
 とにかくささいなことでも大きな怒りとなってあばれてしまうのだ。
 もちろん怒りが通り過ぎると反省もする。
 しかしまた腹の虫がうごめき出すと自分でもコントロールができなかった。
 母さんは夜中、父さんに電話をかけて相談しているようだ。
 ところが父さんからは良い返答がないらしく、最終的には口論となって乱暴に電話を切っていた。
 ヒステリックな部分からして僕は母さん似なのかもしれない。
 それからも僕のヒステリーは続いて母さんは「ごめんなさいごめんなさい」と泣いてばかりいた。
 僕だってこんなことしたくない!
 だけどふとしたことで体の内側から怒りがこみ上げ、そのまま感情を体現してしまうのだ。
 そんな暮らしに親子ともども疲れがピークに達しようとした時、田舎からおばあちゃんがやって来た。
 母さんはおばあちゃんと話し込んでいる。
 きっと僕のことを相談しているのだろう。
 ついには机に突っ伏してわんわんと声を上げて泣き出した。
 物陰からその様子を見ていた僕の腹の虫がまたうごめき始めた。
 腹の底からこみ上げて来る怒り。
 でも、おばあちゃんの前でいつものようにあばれるのはイヤだった。
 それでも自制が利かない。
 僕は、僕はリビングに飛び出すとその周囲のものを投げ飛ばし、払いのけ、床に叩きつけた。
 ようやく落ち着いたところで母さんのおえつが聞こえて来る。
 ちらりとおばあちゃんの方を見た。
 僕と目が合ったおばあちゃんはにっこりとほほえむ。
 ふふ、母さんの幼い頃と同じだねぇ。
 私はこの程度じゃ驚きもしないよ。慣れっこさ。
 きっとあんたも腹の虫を飼っているのだろう。
 だけど安心なさい。
 腹の虫がう化したら自然と治るから。
 その時のおばあちゃんの言葉が、毎晩寝つく前に頭によみがえるようになった。
 いつ終わろうともしない地獄に終点があったことを知ったからか。
 そしてその日が案外早くやって来たのだ。
 僕が寝ていた時、なんだかお腹が痛くなる。
 ついに目が覚めてお腹を押さえていると、ふいに痛みが消え、その代わりに胃からこみ上げて来るものがあった。
 けれど不思議と苦しくはない。
 やさしくやさしく、僕ののどを通り抜け、口から姿を現わした。
 それは一匹の紅いチョウチョだった。
 チョウは濡れた羽を動かして僕の口から宙へと飛び立つ。
 僕は突き動かされるように立ち上がると窓を開けた。
 するとそのまま夜の空へと吸い込まれていった。
 ルビーのような光沢をしていたチョウの姿は今でもまぶたに焼きついている。
 怒りが生じても、その姿を思い出すと自然に治まるようになった。
 あれがおばあちゃんの言っていた腹の虫がう化したものに違いない。
 僕の怒りは今ごろどの辺りの空に居るのだろうか。
 何ものにもわずらわされることなく飛び続けてほしいものだ。

月光唱

 指揮者を目指していたわたしは表舞台から姿を消した。
 ただ広がるのは暗い闇。
 足もとも不確かな奈落をあてどなく歩き続ける。
 もうどれだけ時間が経過したのかも分からなかった。
 だけど立ち止まれば自我まで見失いそうで、棒のようになった足を引きずりながら前へ前へと進む。
 そして重い足を下ろした時だった。
 ぶぎゅ
 足裏の柔らかな感触とともに奇妙な音が響いた。
 何? 何を踏んだの?
 思わず飛びのくと、そこでも奇妙な音とやわらかな感触。
 げこ
 えっ?
 げこげこ
 不意に周囲から声がわき起こる。
 それは他でもないカエルの鳴き声だった。
 わたしが踏んだのはどうやらカエルらしい。
 カエルたちは抗議の声をいっせいに……抗議?
 ゲッコーゲッコー
 いえ、その声音は、カエルにしては澄んでいる。
 むしろ何かをたたえているような……。
 ゲッコーゲッコー
 げっこう? そうか、月光だ。
 カエルたちは月をたたえているに違いない。
 きっと暗闇を照らす月は、地底にすまうこの子たちにとって崇拝の対象なのだろう。
 でも……と見上げた空に月はなかった。
 ならなぜ……と首をひねった時、ふとひらめくものがあった。
 わたしの名前は朋子。
 この子たちがあがめたたえているのは、他ならないこのわたしではないか。
 ゲッコーゲッコー
 それが正解だとでも言うように、カエルたちの声が高まる。
 この子たちはわたしを必要としてくれているんだ……。
 熱いものがこみ上げて来る。
 もうわたしなんて誰にも求められないと思っていたのに。
 カエルの澄んだ合唱はわたしの心を震わし、もう二度と振ることがないであろうと思われた腕を自然と上げさせる。
 指揮棒はない。
 でもわたしの想いはきっと伝わるはずだ。
 闇の中、わたしは深呼吸をひとつして……静かにカエルたちの鳴き声と同調する。
 するとわたしの振る手に合わせてカエルたちの声が変化し始めた。
 腕の振りが小さければ静ひつに、腕の振りが大きければ威勢良く、合唱が暗闇に響き渡る。
 わたしは音楽一家に生まれた。
 そんな中で父親と同じく、指揮者としての才能を芽生えさせたわたしは、幼少期より英才教育を受け、将来を有望視されていた。
 けれど、けれど――不りょの事故により、わたしは両腕を失った。
 もう指揮棒を振れなくなったわたしは、自分の夢だけでなく、両親の夢も壊してしまったことにいたたまれなくなり表舞台を降りたのだ。
 そうして未来の見えぬ闇の中をさ迷うこととなった。
 カエルたちは月光月光とわたしに希望を求める。
 凍てついた土の中で過ごすカエルたち。
 しかしこの子たちが今求めているのはあたたかな太陽ではない。
 今必要とされているのは、闇を照らし、夢を育む月明かりだ。
 わたしの指揮は、汗をまき散らしながら激しくなってゆく。
 カエルの合唱はうねるようにとどろき、闇を震わせ、ゆらめかせる。
 そう、まるでどん帳のように。
 わたしが腕を振り上げたその時。
 闇が両側に開いてまばゆい光が目を刺した。
 そしてひびき渡る万雷の拍手。
 そこは、ああ、そこは、わたしがしりぞいたはずの表舞台だった。
 舞台袖を見やれば、両親がやさしいまなざしで手を叩いている。
 戻っていいの? こんなわたしでもここに居ていいの?
 それを肯定するかのように、拍手の音が世界をおおいつくす。
 いつの間にか振り上げていた両腕が消えていた。
 カエルの合唱も拍手にかき消されている。
 月を失ったあの子たちはまた、まどろみについたのかもしれない。
 だけどお別れとは思わない。
 春になればきっと地上にはい出して来るに違いない。
 だからわたしも生きよう。夢を絶つのは自分自身の弱さだ。
 腕がなくとも指揮者として返り咲いてやる。
 口にくわえてでも指揮棒を振ってやるんだ。
 そしてもう一度、今度は太陽の下でカエルたちの合唱を指揮しよう。
 人生の春はこれから。
 ようやく長い冬が終わろうとしていた。

冬景色

 棒針で毛糸を編み込んでゆく。
 すると、ひとつの目が生まれるごとに、まぶたの裏に景色が立ち現れた。
 それはキラキラかがやく樹氷の並木道。
 凍りついたアスファルトの上を、スケート靴でスィーとすべっているかのように、冴えわたる景色は後ろに流れてゆく。
 編み目が増えれば増えるほどその景色はさまざまな表情を見せてくれた。
 わたしはまぶたを開いたところで目が見えやしない。
 だからこうして棒針でマフラーの目を編んでいる。
 毛糸の編み目は、本当の目よりも良く見せてくれた。
 もう何メートルか分からない長さのマフラーは、旅の道のり。
 わたしがこの冬にあゆんだそくせきに他ならない。
 けれど……それをほどいてしまおうかと真剣に悩んでいた。
 ちょうどいい長さにしてしまおうかと。
 わたしの旅は分岐点に差しかかっていたのだ。
 旅もいい。
 でも冒険にあこがれる年頃でもある。
 それは恋。
 声とやさしさしか知らないあの人に、マフラーを受け取ってもらいたかった。
 ……今どき手編みのマフラーなんて重いだろうか?
 わたしの目と連れそってほしい、だなんて……。
 だけどそれが、盲目のわたしが見る、あざやかな夢なのだ。
 想いをつのらせながら編み込んでゆく目が見せてくれる景色は、蒼い冬から桜色にそまる春へと移り変わり始めていた。

屋根裏の晩さん会

 ぼくはコツコツとふろしきにためたお菓子を持って天井裏に上がる。
 そしてふろしきを広げるとうす暗い天井裏は華やかな屋根裏へと変わった。
 ふろしき……今はおしゃれなテーブルかけをパパやママがにこやかに囲んでいる。
 パパ!
 ママ!
 話したいことがたくさんあるんだよ!
 家庭科のテストで百点取ったし、三段のとび箱が飛べたし、給食でキライなニンジンを残さず食べれたんだよ!
 そっかー、すごいわね!
 さすがパパの息子だな!
 パパもママも顔をかがやかせてほめてくれる。
 だからぼくは行きたくない学校でもがんばれるんだ。
 友達がいなくてもいい。
 バカにされてもいい。
 パパとママさえよろこんでくれたらぼくは幸せだ。
 そうこうしている内にお菓子を食べ切ってしまった。
 するとパパとママの表情がけわしくなり始める。
 男なのに家庭科だけ良くてどうするんだ!
 まだ三段しか飛べないのぉ。
 今日の夕飯は生のニンジンだけだな。
 ほんとダメな子!
 イヤだ! そんなこと言わないで!
 ぼくはテーブルかけをいきおい良く取りはらった。
 パパとママが消え、明るい屋根裏も暗い天井裏に変わり果てる。
 ぼくは泣いていた。
 でもすぐに涙をぬぐうと、下に降りる。
 またお菓子をためないと。
 そうすることでパパとママを笑顔にできる。
 一階の食卓でひとり冷たい食事をとるよりも、すきま風がふき抜ける天井……屋根裏で楽しく食べる方がずっといい。
 ぼくのふろしきは、あたたかな食卓を生む北風のくれたテーブルかけなのだから。

月の鍋

 ひとりぼっちの晩ご飯。
 窓には金色のお月さまがまんまるとかがやいていた。
 その色合いと形はパパとママとわたしでかこんだナベに似てなくもなかった。
 そう言えば月には海と呼ばれる地形がある。
 海は生命のスープとも聞いたことがある。
 ということは月は満月はまさにナベなのではないか。
 味付けは海によって変わるのだ。
 たとえばわたしの名前と同じ静かの海はつめたい。
 それを食べれば頭に上った血もさましてしまう。
 南の海は甘い香りが立ちこめるトロピカルな味。
 くだものはお肌にいいからママがよろこびそう。
 緑の海は少々青くさいけれど野菜がたくさんとれる。
 メタボなおなかが心配なパパこそ食べないとね。
 晴れの海はお日さまのにおい。
 ママが干したお布団のように心地よくなる。
 神酒の海は大人の味だ。
 パパがスープを飲み過ぎないように注意しないと。
 蛇の海は少しこわい。
 うっかり箸でつまもうものなら、牙をむいて家族のだんらんをだいなしにされる。
 だからパパとママにはさわらせないように目を光らせるのだ
 今はみとめられてないけれど夢の海というものもあったらしい。
 そこにはわたしたち家族の未来が煮立ってる。
 だからわたしは積極的につついて、パパとママにもすすめて、たんとおなかにおさめてやるのだ。
 おなかがみたされたらシメはやっぱりおもちよね。
 ウサギさんがついたおもちを食べればきっと、きっと胸がいっぱいになれる。
 わたしの目からこぼれおちたスープは幸せの味がした。

怪物の口

 少女は、まるで怪物が口を開けているようなその洞窟が好きだった。
別に潜るわけではなく、家の手伝いが終わった夕刻から夜にかけてただ入り口に座り込んでいる。
 それだけだ。
 そして洞窟のささやき声に耳をかたむける。
 洞窟の声を、風が吹き抜ける音と説明するのは簡単なことだが、少女にとっては洞窟はじょうぜつな語り部以外の何者でもなかった。
 それは、進化の過程で人が猿との中間にいた頃の生活であったり、人間の耳では聞こえない声でかわされるこうもりたちのおしゃべりであったり、地底にたゆたう湖のまどろみであったりと、少女をあきさせることがなく、心を豊かにしてくれていた。
 少女の家はまずしく学校に行かせてもらえないため、空想の世界で様々なことを学んでいたのである。
 今日も今日とて、すきっ腹をかかえて洞窟の前にすわっている。ここならどんなにお腹がすいていてもがまんすることができた。
 時々ふと思う。この洞窟は本当に怪物で、今は空腹のために眠っているだけであり、もしたくさんの食べ物があれば眠りから覚めるのではないかと。
 自分がその食べ物であることを夢想する。
 きっとひと飲みだろうな。
 そして怪物の一部となり、世界を揺るがせるのだ。
 父親に殴られることも、同年代の子供たちに馬鹿にされることもない。
 王様の軍隊だってきっとかなわないはず。
 そうして世界中を我が物顔でのっしのっしと歩くのである。
 そんなことを考えていると少女のほほを涙が伝った。
 ぬぐってもぬぐっても涙はこぼれ落ちる。
 その時だった。
 洞窟が鳴動した。
 まるで少女に成り代わったかのように泣き叫んだ。
 翌日、村人たちは、口を閉ざしたかのように入り口が崩落した洞窟を発見した。

道まどい

 わたしは学校が終わるとまっすぐ家には帰らず、いつも川辺へとおもむいた。
 川では水切りや笹舟を泳がして独りで過ごす。
 ここでは暴力を振るわれることはない。
 せせらぎがやさしく包み込み、胸の中の黒々としたものを洗い流してくれる。
 しかしいずれ日は暮れた。
 帰りが遅くなると容赦なくげんこつが、いやこぶしならまだしも、蹴りまで飛んで来るのだから嫌でも帰るしかなかった。
 今日も日が西にかたむいた。
 はぁと重いため息を吐きながら家路につく。
 その時だった。
 前方を飛び跳ねるモノがいる。
 あざやかなびろうど状の羽を持つハンミョウだ。
 別名道おしえと呼ばれることを知っていた。
 川辺ではよく見かける虫だったが、わたしはあまり好きではない。
 道おしえの由来は、人の行く手を跳ね、あたかも道を教えるために招いているようだから。
 けれど家に帰りたくないわたしには大きなお世話だ。
 どうせなら道に迷わせてくれた方がいいわ。
 思いつきだったが、そう考えるとなんだか楽しくなって来た。
 このハンミョウはわたしを自宅ではないどこかに案内してくれるのよ。
 重たかった足取りが軽くなる。
 どこに連れて行ってくれるのかしら。
 アリスが迷い込んだようなワンダーランドだったらいいなぁ。
 ううん、もっと壮大でもいい。
 剣と魔法が支配する異世界とかね。
 竜を手なずけることが出来たらその世界の王様にだってなれる。
 そんな幻想に胸をときめかせた。
 いつしか道は地平にまで伸びている。
 ハンミョウはこっちですよと急き立てた。
 わたしはたまらず駆け出し、この世界をかなぐり捨てる。
 すると異世界の入り口で、巨大な影が長い首をゆったりともたげた。

 高台に尖塔をのぞかせる教会を「城」と名付けたのはKだった。
 教会がヨーロッパの城を思わせるからではない。
 フランツ・カフカの小説『城』から取ったものだ。
 なぜならば、教会はカフカの城のように、決してたどり着くことが出来なかったから。
 尖塔を目指して自転車をこいでも、いつの間にか見当違いの方角に出てしまったり、同じ場所をぐるぐる回ってたり、近づくどころか遠のいてしまったりする。
 とにかく高台の道は入り組んでいて、地元の人間でさえはあく出来ているかどうかあやしいものだ。
 だからこそよけいに行きたくなるのが人間の性なのだろう。
 特にKは城の攻略に熱心で、教会にたどり着いたら鐘を鳴らして合図するからというのが口癖だった。
 鐘なんて鳴ったことないよと言うと、教会だからあるはずさと根拠のない確信をいだいている。
 そんなKは、地道に高台の地図を作成していて、それはさながらカフカの城の主人公である測量士を思わせた。
 ある晩、Kが僕の家を訪れた。
 端整な顔につけられたアザを見た僕は、またKがお父さんに殴られたことを知る。
 Kは今夜中に城にたどり着いてみせると豪語した。
 俺は母さんを亡くした時に孤児となった。
 教会はそういう人間をむかえ入れてくれるところだ。
 つまり俺は資格を持っているんだ、と。
 それがKの姿を見た最後の日となった。
 Kが去ってからしばらくして高台の方から鐘の音がした。
 僕の家から高台は望めないのでそれが本当に城から聞こえているものかはさだかではない。
 でも、Kが尖塔の上で鐘を鳴らしている姿がありありと思い浮かんだ。
 その表情はくったくなく、よろこびに満ちあふれていた。
 次の日、Kの家が火事で焼け落ちたことを学校の先生が教えてくれた。
 それはちょうど鐘の音が聞こえていた時間であり、ならばあれは消防車の鐘だったのかと首をひねったが、行方知れずである親子の遺体は一人しか出て来なかったらしく、やはりKは城にたどり着いたのだと自分を納得させた。

濡れ羽姫

 濡れ羽色の黒髪……と言えば聞こえはいいのかもしれない。
 けれど実際は油が回ってぬれたように見えているだけだ。
 髪を洗いたい……。
 でもわたしが入院している病院では、週に一度しか入浴の機会がなかった。
 それ以外はぬれたタオルでふくしかなく、かと言って相部屋だから体をぬぐうのもままならない。
 きれいな長い髪とほめそやされて来たわたしがこんなふけつな思いをしなければならないなんて……。
 家は裕福とは言えないから個室もあてがわれることなく、ただただがまんするしかなかった。
 わがままを言うのは簡単だ。
 だけどそんな子どもっぽいことなんてしたくない。
 まだ小学生だけど、気品高く生きていきたいのだ。
 そう、美しい髪を持って生まれた子はお姫さまの資質がある。
 昔、おばあさんにそう教えてもらった。
 だから気高く生きなさいと。
 たとえ髪が洗えなくても心まで汚れたくはなかった。
 それに……病気のことだけでも迷惑をかけているしね。
 次の入浴はまだ二日後。
 昨日、お母さんに髪をふいてもらったけれど、もうすでに油にぬれ始めている。
 はぁ、こんなんじゃお姫さまにはほど遠いわね。
 その夜、枕にしみ込んだ油のにおいを気にしながら、うとうとと眠りにいざなわれていた。
 するとどこからともかくわたしを呼ぶ声が聞こえる。
 ……姫、……姫。
 姫? だぁれ、本当にお姫さまあつかいしてくれる方は……。
 もぞもぞと上半身を起こすと――、いくつもの光る玉が周囲を飛び交っているではないか。
 な、何よこれ。
 そこで気がついた。
 わたしはいつしかベッドではなく椅子に腰かけていて、黒々とした滝壺らしき中心にいることを。
 いえ、違う……。
 この周囲を渦巻いている黒々としたものは水じゃない!
 わたしの頭から伸びた髪の毛だ!
 濡れ羽色の髪の毛がとぐろを巻いて、水のようにたたえられていた。
 姫、ようやく起きもうしたか。
 いつの間にか一羽のカラスがわたしの頭上を旋回していた。
 そろそろ婚礼のしたくをしなければ間に合いませんぞ。
 こんれい?
 さよう、姫は黄泉の国の王子とご結婚なされるのです。
 それを聞いても、なぜだかおどろきはしなかった。
 むしろ、いよいよお迎えが来たんだと納得する。
 わたしは本当にお姫さまになれるんだ。
 そう思うとひとつぶの涙がほほを伝った。
 おお、なんと王子みずからがまいられたようですぞ!
 ああ、名残があるとすれば、きれいな髪で嫁ぎたかったこと。
 とぐろを巻く髪の毛も十分美しいけれども。
 わたしは嫁ぐ相手を見た。
 黒衣を身にまとったガイコツ。
 くぼんだ目や口からうじ虫がぽろぽろと。
 そこではじめて恐怖をおぼえる。
 い、いや。
 わたしはまだ行きたくない!
 そのとたん、髪の毛はぬれたような鱗と羽毛を持つ無数の蛇となった。
 蛇がシャーシャーとガイコツをいかくする。
 さしもの死神もひるんだのか、しばらくにらみ合ったあと身をひるがえして去って行った。
 髪って本当に女の武器なのね。
 それ以来、油にぬれた髪の毛を汚らしく感じなくなり、むしろ誇り高く思えるようになった。