短編小説・銀ドロトラム | 滑空舎 出版もする本屋さん

銀ドロトラム '19

 晩春と初夏の間頃、この街は白くおおわれる。
 季節はずれの雪、というわけではない。
 銀ドロの木の綿毛が大量に舞い散り、降り積もるからだ。
 銀ドロとは、葉裏が銀色に輝いているように見える樹木のことで、花が散ったあとの綿毛の中には種子があり、風に乗って何百キロも移動することがあるという。
 その綿毛が飛散する中、街を歩く人々のほとんどはマスクをし、していない人はしきりにクシャミをしていた。
 花粉とは別物だけど、迷惑をこうむる人はたくさんいる。
 でも、わたしはこの時期が嫌いじゃない。
 白い綿毛が舞い散るさまは、まるで雪国のように幻想的だから。
 今日もわたしはスケッチブックを小脇に抱え、綿毛の舞う街に出向いていた。
 トラムの停留所にたたずみ、白く塗り潰された街をじっと眺める。
 欠如を補うために想像力は活性化するというけれど、わたしが期待しているのはまさにそれだった。
 普段見慣れた街並みが、綿毛に埋もれたこの時期には別の顔を覗かせる。
 それに感化されてわたしの筆はノリ、存在しない、まぼろしの街並みを描き出すのだ。
 
 チンチン
 可愛らしい警笛を鳴り響かせて、トラム(路面電車)が綿毛をかき分けて現れた。
 小さなトラムは、わたしのいる停留所に横づけされる。
 扉が開き乗り込むと、進行方向を向いた二人がけのクロスシートは、綿毛から逃れた人々によっていっぱいだ。
 それでも最後尾に、ちょうどワンボックス分だけ空いていて、そこへお尻をすべり込ませた。
 トラムはチンチンと鐘を鳴らしながらゆっくり進みはじめる。
 綿毛をかき分けかき分け、なだらかな斜面をのぼりゆく。
 窓の外はあいかわらず非現実的に真っ白で、時折ちらちらと現実がまたたいていた。
 わたしは早速スケッチブックを開き、濃い色の鉛筆を走らせる。
 この白い世界の向こう側に隠された風景を、静かにとらえてゆく。
 トラムがのそのそと坂をのぼり切ると、停留所にとまった。
 ドアが開き、白い綿毛が舞い込んで来る。
 続いて、細身の神経質そうな目つきの男性が乗り込んで来た。
 男性は、車内に視線を走らせると、わたしの隣の空いた席に目をとめる。
 ゆっくりと落ち着いた足取りでわたしの隣まで来て、小さく頭を下げてから腰をかけた。
 トラムが動き出し、わたしはまたスケッチブックに集中して――ふと鼻息を感じた。
 隣を向けば先ほどの男性の顔が間近にある。
 思わず身をのけぞらせると、「失礼」とぼそっと謝り居住まいを正した。
 絵がお上手ですね。
 ふいに話しかけて来る。
 でも、そのスケッチブックに描かれている街並みは、この街のものと少し違うような……。
 は、はい。
 今度はわたしが居住まいを正した。
 わたしがこの白い世界に想像を反映させた風景です。
 なるほど……、それはあなたの頭の中にある街、なのですね。
 そう言い終わると少し上を向いて……測量しなければ、とつぶやいた。
 そくりょう?
 あっ、はい。私は測量士でして……。今日もこの先の区画へ測量に出向くところなのです。
 ……でも、何も持たれていませんね。
 計測の機材はどうしたのだろうと、疑問に思う。
 その質問に対し、男性がふふっと小さく笑った。
 私は測量に道具は使いません。
 この二本の足で歩き、歩数で距離と位置関係から数値を導き出しているのです。
 とくに銀ドロの綿毛が舞うこの季節は、目測は困難となりますからね。
 それに……。
 それに?
 人の目に隠された街は変容をはじめるのです。
 測量士と名乗りましたが、ある意味監視官とも言えるかもしれません。
 私は街が勝手に変わってしまわないように、測量することで見張っているのです。
 街と言うものは、常に人の目を盗んで変わろうとします。
 今日のような環境ほど活発にね。
 だから、私のような測量士が必要なのですよ。
 だって、昨日まですぐそこにあったコンビニが、ある日をさかいに遠くなったら嫌ですよね?
 たとえるなら時計に似ているかもしれません。
 時計盤を見つめている時、時計は時刻を厳守しますが、目を離すと早くなります。
 そのように街も変化を求めているのです……。
 
 チンチン
 トラムが次の停留所に着いたようだ。
 男性は席から立ち上がると、「では」と会釈をして降りて行った。
 わたしは、窓の外の景色に目を向ける。
 この綿毛の向こう側では、街が人知れず変化しようとたくらんでいるのだろうか。
 それはそれで、面白いかもしれない。
 変わりゆく街を想像して、また絵を描き始めた。

 チンチン
 トラムが停留所にとまり、肌の浅黒い青年が乗り込んで来る。
 ところがその人はもたもたとして、座るよりも先にトラムが動き出した。
 するとまるで車内を泳ぐように、こちらへとふわふわ歩いて来る。
 そして吸い込まれるように、わたしの隣の席に腰をすえた。
 ふぅ、なかなかアイツを見つけられないな……。
 人捜しでもしていたのだろうか。
 と思ったら、わたしのひざを乗り越えて窓ガラスに張りついた。
 違う、アレではない。アレでもない。
 くそっ! 今日はいつになく魚影を多く見られるというのに、アイツは姿を現わさないのか。
 とそこで、体を強張らせて困っているわたしの存在にようやく気づく。
 ああ、失礼。今日の「海」はいつになくにぎやかなので、興奮してしまったようだ。
 うみ……ですか?
 うむ、俺はこの銀ドロの綿毛に白く染まった景色を、そう呼んでいるんだ。
 銀ドロの白い綿毛が、魚影をくっきりと映し出してくれるからな。
 その光景はさながら海のようなんだよ。
 魚影と聞いてますます困惑するわたしに、青年はふふっと小さく笑った。
 信じられないのも無理はないか。
 俺とてこの街を訪れるまでは信じがたかった。
 魚影の気配自体は、昔から感じていたんだ。
 けれど周囲の視線もあって、気のせいだと思い込んでいた。思い込もうとしていた……。
 ところがたまたまこの時期に、この街へやって来たとき、白い綿毛のスクリーンに映し出される魚影を、はっきりと認識出来たんだよ。
 ……そんなこと、ありえるのだろうか?
 わたしは半信半疑ながらも青年の話に惹きつけられていた。
 そして俺は……アイツと出会った。
 ひときわ大きな魚影を持つアイツに……!
 その魚影は他のやつとは違い、銀色にまたたいていたんだ。
 そう、風に揺れる、銀ドロの葉のようにね。
 きっとアイツこそが魚影の王なんだろう。
 そこでまた、小さく笑う。
 別にアイツをどうこうしようとは思っていない。
 いや、そもそもどうこう出来る存在ではないと思う。
 だが俺はアイツに、魅了されちまったんだな。
 そう、理屈ではないんだよ。理屈では、ね。
 まるで最後の言葉は、自分に言い聞かせているようだった。
 そうこうしている内に、次の停留所へと近づく。
 するとトラムがとまらない内から青年は立ち上がり、また泳ぐようにふわふわと前方へと歩いて行った。
 停車したトラムから降りて歩き去る青年の背中を追っていると……、何か大きな魚のひれのような影がひるがえった気が……した。
 
 チンチン
 トラムはゆく。白い世界を。
 わたしにも魚影が見えないものかと、頑張って窓の外を眺めたけれど、見つけ出すことは出来なかった。
 その代わり、白いスケッチブックに次々と魚影が描き込まれてゆく。
 トラムが停留所にとまった。
 次に乗り込んで来たのは、年配の太った女性だった。
 ところが手に何かを持っていて、その足もとには一匹の犬がいた。
 ……ううん、違う。
 犬と思ったのは人形だった。しかも女性が手に持つ糸に繋がれたマリオネットだ。
 女性の手が動くと、犬の人形は身ぶるいをして綿毛をまき散らした。
 大変でちたねぇ、ピノコちゃん。
 綿毛だらけでやんなっちゃうわ。
 女性は犬のあやつり人形をとっとことっとこと歩かせながら、こちらに来る。
 そしてわたしの隣へと、大きなお尻をねじ込んだ。
 犬の人形は、女性のひざで丸まっている。
 そのさまはまるで、本物の犬のようだった。
 わたしが人形をうかがっていることに気づいた女性は、ふふっと小さく笑い、大丈夫よと言って来た。
 この子はおとなしいから、かみつきやしないわ。
 そういう問題じゃないけれど……。
 女性は人形の体をなでながら言葉を続ける。
 けれど、この綿毛がなかったら、ピノコちゃんは生まれて来られなかったのよね。
 いえ、生まれていたとしても……命までは得られなかったわ。
 ピノコちゃんの中にはね、銀ドロの綿毛がたくさん詰まっているの。
 こんなに街をおおい尽くすほどのエネルギーに満ち満ちた綿毛ならきっと、命を宿せると確信していたわ。
 だけど……、お散歩にはちょっと邪魔なんだけどね。
 まぁ、綺麗で新鮮な綿毛がいっぱい手に入るから全部悪いとは言えないけれど。
 ふとわたしに、この人形の皮は、本物の犬の毛皮ではないかという妄想がわき起こる。
 愛犬を亡くし、悲しみに暮れる女性に舞い降りた天恵。
 この綿毛を使えば、愛犬はよみがえると考えて……。
 
 チンチン
 はっと我に返ると、トラムが停留所にとまった。
 女性はお先にと頭を下げて、犬のマリオネット人形をとっとこ歩かせながらトラムを出て行った。

 トラムの外は、あいかわらず真っ白だ。
 代わりに、わたしのスケッチブックは陰影をくっきりとさせてゆく。
 トラムが停留所にとまると、今度は白衣の男性が乗り込んで来た。
 頬がこけ、眼鏡をかけたその男性はわたしの隣に腰をかける。
 すると白衣の内側から取り出した、小さな顕微鏡をひざの上に置き、何やら覗き込みはじめた。
 しばらくじっとうつむいていたかと思うと、「いない」とつぶやいて顔を上げ、深いため息をつく。
 何がいないのですか?
 興味を持ったわたしは、思わず疑問を口にしてしまった。
 わたしの方を向いた男性は一瞬けげんそうな顔をして、「ケサランパサランだ」と答えた。
 聞いたことがある。
 白い綿毛のような生き物で、おしろいをエサにするとか。
 そして幸せをもたらしてくれるという。
 でもそれは、架空の存在のはずだ。
 いるんだよ。
 男性はわたしの心を読んだかのようにつぶやいた。
 子どもの頃、私はケサランパサランと出会ったことがある。
 その当時は貧困にあえいで、勉学すらまともに出来なかった。
 親の借金を減らすため、鉄くず拾いやどぶさらいなど、やれることならなんでもやった。
 そんなおり、ケサランパサランを偶然にも捕まえことが出来たんだよ。
 それ以来、生活が好転した。
 親の借金も消え、私も勉学にはげめるようになっていった。
 けれどいつしか、捕まえたケサランパサランは失せてしまっていた……。
 男性は遠い眼差しで、トラムの天井を見つめ――ふふっと小さく笑った。
 私は、私の受けた恩恵を、他のふしあわせな人たちにも与えてあげたいと考えるようになった。
 だから、ケサランパサランの研究者となったんだ。
 けれども、ケサランパサランを見つけ出すことは困難を極めた。
 そんなときに思いついたんだ。
 昆虫などは、周囲の環境に擬態するものがいる。
 もしかするとケサランパサランもまた、擬態しているのではないかと、ね。
 たとえば、雪とか。
 この街の銀ドロの綿毛……とかね。
 そう推測し、綿毛を顕微鏡で調べ回っているのだよ。
 
 チンチン
 トラムが停留所にとまると、男性は顕微鏡を白衣の内側にしまって出て行った。
 きっとまた、綿毛を採取して研究するのだろう。
 わたしは窓の外に目を向ける。
 もしこの銀ドロの綿毛すべてが、ケサランパサランだったら……。
 きっと街中……ううん、国中が幸せになってもおつりが来るに違いない。
 わたしの描く街並みは、楽しげなタッチへと変わっていった。

 チンチン
 トラムはゆく。
 銀ドロの綿毛におおわれた街を、突き進む。
 この綿毛によって幻想をかき立てられるのは、わたしだけではないらしい。
 様々な人がこの綿毛に、別のものを映し出している。
 いつしかトラムの乗客はわたしだけになっていた。
 わたしは思う存分、スケッチブックに想像上の街を描き出す。
 もうトラムの前半分、運転席は白く溶けて消えていた。
 前方に見えるのは、わたしがスケッチブックに描いたまぼろしの街並みだ。
 トラムはわたしの思い描いた街を、ゆっくりゆっくり走っていた。
 
 その中には、わたしの街を測量している細身の男性がいた。
 彼は正確無比な歩幅で、街をはかり、記録してゆく。
 わたしの街が、確定されてゆく。
 
 その隣を、魚影を追いかける浅黒い肌の青年が横切って行った。
 その様はまるで、魚とたわむれる少年のようだ。
 ひときわ大きな魚影が頭上を通り過ぎると、青年は歓声を上げた。
 
 その様子をうるさそうに見つめている、年配の女性がいた。
 手には糸で繋がれた、マリオネットの犬もいる。
 犬は青年を追いかけようと暴れ出したが、女性はそれを制止し、なだめていた。
 
 その前を、白衣の男性が虫取り網を振り回しながら駆け抜けてゆく。
 網の中は白い綿毛でいっぱいのようだった。
 果たしてその中に、ケサランパサランはいるのだろうか。
 
 ……そして、そして、家族と連れ立って楽しそうに歩くわたしもいた。
 わたしたちは家族は、あちらこちらで見かけることが出来た。
 
 ケーキの箱を大事そうに抱えている、わたし。
 大きなぬいぐるみを抱きしめている、わたし。
 赤いカーネーションの花束の香りを嗅いでいる、わたし。
 
 それぞれのわたしは、家族とのひとときを幸せそうに過ごしていた。
 白い銀ドロの綿毛におおわれた景色が涙ににじむ。
 ああ、どうか、どうか、銀ドロの綿毛よ、晴れないでおくれ。
 わたしの夢を、理想を、幻想を、映し続けておくれ……。
 
 もう、現実に戻りたくない。
 わたしの乗るトラムに、終着駅はない。
 永遠に、延々と、銀ドロの降り積もる道路にわだちを……刻み続けるのだ。