銀世界 '19

一、降臨

 辺り一面、雪原が広がる銀世界。

 町の目覚めを告げる尖塔の鐘が、鳴らなかった朝のことだった。
 そう、春彦くんの予言書通りに、町に世界そのものが降り積もったのだ。
 家の二階の窓から外に這い出し、周囲を見渡せば、そこかしこで、雪が不自然に盛り上がっている。
 屋根や電柱だろうか?
 とにかく現実世界は雪に埋もれてしまった。
 その代わり、真新しい世界があらわになっている。
 春彦くんの予言が確かならば、現実は冬眠に入り、真新しい世界が取って代わって、この世に君臨するのだ。
 だけどぼくはあわてない。
 現実を揺り起こすすべも、春彦くんの予言書に書かれていたから。
 そしてその救いを実行する者こそ、春彦くんから予言書を託されたぼくにほかならない。
 ぼくは救世主として、凍てついた世界を打ち砕かなければならなかった。
 一度二階の窓から自室に戻ると、準備していたリュックを背負って、再び雪を踏みしめた。
 リュックには予言書も入っている。
 ほかには、携帯食やペットボトル、チョコレートなどがあった。
 あとは指示通りに、お父さんのトンカチも入れてある。
 リュックを背負い直すと、足跡ひとつ無い銀世界へと一歩踏み出した。

二、親友

 春彦くんは四月にやって来た転校生だ。
 肌が雪のように白く、体も細い。
 自己紹介でも、体が弱いと言ってたし、事実体育の授業は必ず休んでいた。
 だけど春彦くんは、そんな自分を悲観していなかった。
 今の自分は雪をかぶっているようなもの。
 雪どけが訪れれば、名前の通り閉ざされていた人生に春がやって来るのだと信じていた。
 春彦くんは勉強が出来たわけじゃないけど、頭は良かった。
 だから体が弱くても上手く立ち回り、いじめられることなくクラスに溶け込んでいた。
 でもぼくは知っている。
 春彦くんは、本当は孤独を愛していることを。
 時折窓から外を眺める眼差しが、ぼくと一緒だったからだ。
 なので、ぼくは春彦くんに近づいた。
 春彦くんと交流を持ちたいと思った。
 孤独は、孤独に惹かれるものなのだ。
 彼が内に秘めた孤独な世界を見たかったのである。
 そこに、同じ孤独をかかえていても、ぼくが持つ不安をぬぐい去るような希望を見出したかった。
 親しくなると、春彦くんはほかのクラスメイトには見せない顔をぼくに見せてくれた。
 春彦くんは、自分のことを予言者と呼んだ。
 とは言うものの、未来を見るわけじゃない。
 世界に危機が訪れた時の対処法を知り得るのだ。
 その危機が今まさに、文字通り降り掛かって来たのである。

三、試練

 白い世界をひたすら歩いていた。
 存在するのは、新雪と蒼く凍てついた空のみ。
 新しい世界と言っても何があるわけではなかった。
 こうして耳が痛くなるほど静かで真っ白な世界をえんえんと歩いていると、気がおかしくなりそうだ。
 肌を刺す冷気も、正気に保ってくれそうにない。
 頭の中にまで白い世界が侵食し、精神が凍りついてゆく。
 このままぼくは思考を停止し、歩く姿のまま氷の彫像となってしまうのか……。
 それもいいかもしれない。
 ふいにそんな思いが沸き起こって来た。
 思考を失った先にあるのは真の孤独だろう。
 誰にも、自分自身さえにもわずらわされることが無くなるのだ。
 このまま無になりさえすれば……。
 そんな時、ふと春彦くんの顔が思い浮かぶ。
 もし、意識が白く塗りつぶされそうな時は、大声を上げてぼくの名前を叫ぶといい。
 そうだ、ここで意識を失うわけには行かない。
 ぼくが居なくなると、誰が春彦くんの予言を実行出来るというのだ。
 まだ残っている意識を振り絞り、声を張り上げた。
 叫んだ春彦くんの名は、凍てついた大気を震わせ、白い世界にノイズをもたらす。
 そのわずかなノイズに意識を向けて、なんとか正気を取り戻した。
 それからどれだけ叫び続けたことだろう。
 足は止めず、前へと進んでもいる。
 喉が乾けば水を口にし、声を張り上げ名前を叫び続けた。
 やがて白い世界にふっと影が差した。
 叫ぶのを止めると、寒風が吹きつけて雪が舞いおどる。
 これが第二の試練だ。
 春彦くんの予言書には三つの試練が記されていた。
 それは銀世界の防衛システムであり、ぼくという不純物を排除するための、敵意である。
 辺りはすっかり吹雪いていた。
 でも吹きつける雪はぼくの体をすり抜けている。
 まぼろしの雪だ。
 まぼろしの雪がぼくの周囲を閉ざしていた。
 それでもぼくは歩みを止めない。
 止めたら負けだ。
 けれど周りには、雪だけでない何かがうごめいていた。
 予言書の通りだとするとそれは……。
 うぉぉぉぉんと、遠吠えが響き渡った。
 カゲオオカミである。
 ぼくの周囲を取り囲む彼らもまたまぼろしだった。
 まぼろしではあるけれど、うなり、にらみつけ、何度も飛びかかって来る。
 オオカミは体をすり抜けるだけだけど、もし少しでもひるんだら、まぼろしのはずの爪と牙はたちまち本物となってぼくを切り裂くのだ。
 カゲオオカミの対処法は、強い意志を持ち続けることのみ。
 なのに絶え間ない凶暴ないかくに、ぼくの心はすり減り折れそうになっていた。
 このままでは本当に死んでしまう……。
 するとまた、春彦くんの顔が思い出される。
 ぼくは今独りだ。
 でも本当の孤独ではない。
 ぼくには春彦くんという心強い同志が居る。
 この場に居なくても春彦くんの存在はぼくの支えであった。
 吹雪におおわれた前方を見すえる。
 その見えない先では、確かに春彦くんの存在を感じとっていた。
 春彦くんに見守られながら、また一歩一歩着実に足を進める。
 しばらくすると、カゲオオカミたちの気配が遠のき始めた。
 吹雪が止んだ頃には、何事もなかったかのように、真っ白な雪と蒼く凍てついた空が広がっている。
 いや、はるか前方に何かが建っていた。
 塔だ。
 いつも町の朝を告げる、鐘を吊り下げた尖塔がたたずんでいた。
 あれこそ、ぼくが目指していた場所であり、世界を救うための鍵だった。
 疲れていた足に力がみなぎって来て、駆け足気味に尖塔を目指す。
 ところがだ。
 いくら進んでも、尖塔は近づいて来なかった。
 そればかりか、まっすぐ歩いているはずなのに、尖塔は横へ横へとずれてゆくのである。
 そこで、はっと春彦くんの顔を思い出した。
 これこそ第三の試練ではないかと。
 この雪原には、砂漠のように蜃気楼が発生する。
 今見えている尖塔は、ぼくをまどわすためのまぼろしであり、本物がある方角ではないのだ。
 すると、まぼろしだと見破ったからなのか、地平線に複数の尖塔が生じた。
 あの中に本物はある。
 でもいったいどれが……。
 その時また春彦くんの顔が頭をよぎった。
 予言書にはこう記されていたはすだ。
 本物の尖塔には常に雪が降りしきっていると。
 それは銀世界が、尖塔をおおい隠そうとしているからである。
 地平線に目をこらすと、複数の内ひとつの尖塔が、チラチラとまたたいていた。
 それは雪が降っているからに違いない。
 ぼくは確信すると、その尖塔を目指して進んで行った。
 やがて、雪が降りかかっている尖塔のもとにたどり着く。
 尖塔は、金色の鐘のぶら下がった上部だけ残して、雪に埋まっていた。
 それでも雪にいどむように、尖った屋根の先端を、凍てついた蒼い空に向けていた。
 ぼくは雪の小山をはい上がり、鐘に近づく。
 そしてリュックからトンカチを取り出した。
 このトンカチを使って鐘を打ち鳴らす。
 そうすれば、ぼくたちの世界が目覚め、すべてが元通りになるのである。
 ぼくは足場を確保すると、トンカチを振り上げた。
 これで世界が救われると確信した時。
 突風が吹きつけ、思わず腕で両目をおおう。
 次に視界を開いた時、目の前に春彦くんがたたずんでいた。

四、目覚め

 春彦くん!
 ぼくは春彦くんの名前を叫ぶ。
 春彦くんはおだやかにほほえむと、静かに手を差し出した。
 さぁ、トンカチを貸して。
 最後の仕上げはぼくがしてあげるよ。
 おいしいとこをうばうようだけど、ぼくだって世界のために何かしたいんだ……。
 だけどぼくはトンカチを渡すそぶりも見せなかった。
 どうしたの?
 予言をしたのはぼくだよ?
 ぼくにも花を持たせてよ。
 ……君は春彦くんではない。
 春彦くんはこう言ったんだ。
 世界は君にしか救えないって。
 それは……君に自信を持たせるためさ。
 本当はぼくだって世界を救いたい。
 だから、トンカチを……。
 違う。
 春彦くんはもう、元の世界にも、この銀世界にも居ないんだ!
 ぼくはトンカチを振り上げ――、金色の鐘目がけて振り下ろした。
 ゴォォォォォン!!
 その瞬間、偽物の春彦くんはかき消え、銀世界が震える。
 震えは尖塔も揺らし、ぼくはあわてて雪山から滑り降りた。
 そして見上げると……かぶった雪を振り払いながら、尖塔が空を目指して伸び始めているところだった。
 そればかりではない。
 雪が盛り上がっていたあちこちからも、にょきにょきと細い尖塔が姿を現したのだ。
 すべての尖塔は、蒼く凍てついた空を目指して伸びていた。
 そして鐘のある尖塔が天を貫いた時、凍てついた空にひび割れが生じる。
 続けてほかの尖塔も天に先端を突き立てると、空には無数の亀裂が走り、ついにはばりばりばりと雷が落ちたような音を立てて砕けてしまった。
 蒼い破片が銀世界を切り裂きながら降りそそぐ。
 ぼくは雪の陰に避難し、頭をかかえてやり過ごした。
 音が止み、顔を上げると、そこは尖塔の立つ町の広場だった。
 あれほどの雪はまばらにしかなく、鈍色のアスファルトや赤茶けた土や深緑の植え込みがあらわになっている。
 世界は元に戻った。
 けれど、もうこの世界に春彦くんは居ない。
 春彦くんはぼくの手の届かない遠い世界へと旅立ってしまったのだ。
 でも、また孤独に戻ったとは思わなかった。
 ぼくの中には春彦くんの残した春のひだまりが、おだやかに息づいている。
 何より託された予言書がある限り、ぼくから未来への希望が失われることはないだろう。

NEXT
NEXT
BACK